遅ればせながら、夏休みの宿題を。
夏休みなどの休暇で、信州、長野県北安曇郡小谷村の栂池高原によく滞在します。そのとき、よく行くそばとジンギスカンのお店で、思わず手に取るのがこの本です。
「平成7年7月11日発生 小谷村梅雨前線豪雨災害の記録 -- この体験を語り継ぐ」
発行: 1997年(平成9年)3月31日、小谷村梅雨前線豪雨災害記録編集委員会
編集・制作: 信濃毎日新聞社
値段もISBN番号も書かれていないので、この本、…というか資料は、書店などでは入手できないのかもしれません。
さる7月11日は、1995年に姫川が氾濫して、小谷村に被害が出た日です。
- 小谷村梅雨前線豪雨災害
- 日付:平成7年(1995年)7月11日
- 場所:長野県北安曇郡小谷村、ほか
- 梅雨前線により長野県北部と新潟県西部に豪雨、姫川と関川の周辺で被害(7.11水害)。長野県小谷村では姫川が氾濫、ライフラインが寸断され、多くの集落が孤立した。また、翌年12月6日にはこの災害復旧工事中に土石流が発生し作業員が死亡。
栂池高原からロープウェイ、栂池自然園を経て白馬岳に登ったり、あずさ号の終点が南小谷駅だったりで、わたしは小谷村に親しみがあり、この災害はとても印象に残っています。
姫川には、「姫川源流自然探勝園」に代表される清流と、このような災害をもたらす暴れ川の両面あります。このブログでは清流・姫川を紹介したことがありますが、わたしにとって最初の姫川は暴れ川でした。
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この年: 年表で見る1995年
この1995年は、1月に阪神淡路大震災がありました。この資料の目次にはこんな写真が:
震災からまだ半年、まだまだ自分たちのことで精一杯であろうことを思うと、この写真はグッときます。
1995年には、その他にもこんな出来事がありました:
1月17日(火) | 阪神・淡路大震災 |
3月20日(月) | 地下鉄サリン事件 |
7月11日(火) | 小谷村梅雨前線豪雨災害 |
7月30日(日) | 八王子スーパー強盗殺人事件 |
11月23日(木) | Windows 95日本語版 |
xfy Plannerに入力して、先日更新された電子年表: 日本歴代内閣年表【Wikipedia】や、米国歴代大統領年表【Wikipedia】と合わせて、「マルチ行 3ヶ月 カレンダー」リフィルで見てみると、当時は村山内閣、米国大統領はビル・クリントンだったことが分かります。
1993年~1997年
1995年1月~1995年8月
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姫川の二面性: 清流と暴れ川
清流と暴れ川、姫川の二面性を写真で垣間見てみます。
国土地理院の地図で上流へたどると、最後まで「姫川」の名がつくのは、日本の水百選に選ばれた「姫川源流湧水」から発する流れです。ここは澄んだ湧水の豊富な美しいところです。» 姫川源流自然探勝園でバイカモ、ニリンソウ
写真2は、8月の初め、台風9号が接近した頃。長野市からのオリンピック道路が姫川を渡る土合橋から、西側に見下ろした姫川。右側の黒っぽく写った流れが、姫川源流自然園からの澄んだ流れ。左側の茶色く写った流れが、谷地川の流れ。
写真2 土合橋付近の姫川。地図では画面に向かって左方向を向いて撮った写真。
土合橋から下流に北上した水神宮橋の南側、右岸から。上側の緑白色に写った流れが松川、白馬三山を撮った白馬大橋からの流れ。下側の茶色く写った流れが姫川。
写真3 水神宮橋付近の姫川。地図では画面左方向を向いて撮った写真。
地滑りによる災害
姫川の災害の歴史を調べてみると、必ずしも大雨で水かさが増えたというような災害ばかりではないことがわかります。
姫川の流域の大部分は白馬岳などの高山が占めていて、急で険しい地形となっています。これは、わたしが暮らす、吉野川の河口付近とは大きく異なります。
流域には崩れやすい山があるようで、その崩壊によってもたらされる災害もあります。
明治44年(1911年)に稗田山(ひえだやま)で起きた崩壊は、日本三大崩れの1つとして数えられるほどの大規模なものでした。この崩壊によって姫川がせき止められ、水が溜まって上流の家が浸水しました。
調べてみると、稗田山あたりは、昔から崩壊を繰り返してきたことが分かります。
1726年 | 稗田山の金沢側が崩壊 | 1716年 徳川吉宗が8代将軍 1717年 大岡越前の守が江戸町奉行 |
1842年6月 | 風吹岳より押出し | 1835年 坂本龍馬誕生 |
1844年6月 | 浦川の奥が崩壊して泥土を押出す | 1853年 徳川家定が13代将軍。ペリーが浦賀に来航。 |
1911年8月8日 | 稗田山大崩壊、姫川をせき止める | 1904年 日露戦争。 |
1912年4月26日 | 稗田山が再び崩壊 | |
1912年5月4日 | 稗田山が再び崩壊 | 1912年7月30日 元号が大正に。 |
1936年5月23日 | 風吹岳が崩壊して山津波 | 1936年2月26日 二・二六事件 |
1948年07月28日 | 雷雨のため風吹岳より泥土を押出し | 1945年 第二次世界大戦終戦 |
1964年08月29日 ~10月21日 |
風吹崩壊による土石流 | 1964年 東海道新幹線、東京オリンピック |
1965年05月09日 | 風吹崩壊による大規模な土石流 |
このような歴史を踏まえて土石流を警戒するためか、姫川の支流である浦川の、稗田山に抱えられた金山沢あたりに、観測所が設置されていました。
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そもそも、姫川源流湧水の湧水や湿原も、付近の佐野坂の地滑りに由来すると考えられているそうです。
わたしは単なる観光者で、年にほんの数日、栂池に滞在するにすぎません。しかし、今回、資料を調べて災害の痕跡を訪ねてみると、美しい小谷村は、自然そのもののバランスと、人々の苦労の上にあるのだと感じました。
冒頭の資料は、これからも是非、そばとジンギスカンのお店に置いておいていただきたいと思いました。
来歴
2010-03-09: もともと別の記事にしようとしていた稗田山の話を、この記事に挿入することにしました。
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