Yorozuya-Iwataさんの特撮ヒーロードラマ年表と自分のアニメ年表を並べて、同世代なんだなと実感したところで、少し強引かもですが、「年表はコミュニケーションのメディアだ」と言ってみます。
ひとに見せる年表
以前に書いたやり方だと、個性的な年表にはなるでしょうが、ポートフォリオとしては不十分かもしれません。そこでは、第一歩として、次のような発散的な作り方をお勧めしました:
- 思いつくまま作る。公平さや網羅性は後回し。
- 個々の年表に深くはまるよりも、複数の年表を行き来しながら、年表セット全体を作る。
でも、これを人に見せるとなれば、次のような収束的な発想もするんじゃないでしょうか:
- 誰に向けて何を、年表で表現するのだろう?
- その観点で、出来事の過不足は?先ほど脇に置いた公平さや網羅性はここで。
- 可能なら、相手や目的にダイレクトに即した過去年表や将来年表も加えてみる。例えば、相手視点の年表はどんなだろう?最終的に、これを年表セットに含めるかどうかは別として。
ここまでくると、ポートフォリオと呼べるかな。
- 年表セットに、どんな年表を含めるのか。
- 個々の年表に、どんな出来事を含めるのか。
- その出来事をなんと名付けるのか。
- その出来事はいつ始まっていつ終わるとするのか。
これらは、時としてシビアに問われ、シリアスな問題に発展することもあります。
メールするのと同じですね。どうでしょう?年表はコミュニケーションのメディアだとも思えませんか。いわば、比較年表はコミュニケーションの道具、かと。
コミュニケーションと年表
さて、「コミュニケーション」と「年表」をかけあわせるという切り口から入ると、年表には次の3つの側面が考えられるでしょう:
- 共同で年表を作る
年表は共同作業の成果。年表はCGMである。
- 年表を持ち寄り、かけあわせる
年表は個性を伝えるメディア、メッセージ。年表を交わすコミュニケーション。
- 誰かが作ってくれた年表を活用する
年表は目で読むだけでなく、さらに踏み込んで活用可能なデジタル知識の一種である。
例えば、雑誌の新年号には2009年の予測記事が載ってたりします。あれらがデジタルデータで提供されたら?
今回はちょっと強引に2番目を主張してみました。3番目についてはまたいつか。